コラム

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英国が国民投票によりEU離脱(Brexit)となったことには驚かされた。すでに色々なところで書かれているとおり、この問題の根底には富裕層vs労働者層、大都市vs地方、高齢者層vs若年層という対立軸があるとみて良いと思うが、個人的に着目したいのは、大衆は頭(論理)でなく腹(感情)でモノを考える、という文脈での解釈である。

英国のキャメロン首相が国民投票の実施を決定したことは世紀の愚策となったとの報道があったが、その経歴を見れば分かるとおり、彼はいわゆるエリートである。このようなエリートは、えてして論理的(logical)であることを重視し、かつそこに頼りすぎることが多い。キャメロン首相に見誤りがあったとすれば、そうは言ってもlogicalに説明し議論をすれば皆を説得できる、皆に納得してもらえると、その威力を過信しすぎた点であろうか。様々な論法で、「適切ではなかったが違法ではない」ということを論じて都民に納得してもらおうとして玉砕した、舛添前都知事の姿とダブるところがある。しかし、大衆が求めていたのはそのようなlogicalな説明や議論ではなかった。どちらにも共通しているのは、説得に失敗した者の経歴がエリート中のエリートと言えることである。

私が思い出すのは、弁護士になって数年目のある案件での出来事である。当時の上司と一緒に、とある地方公共団体との契約交渉を行っていたのであるが、紆余曲折の末、ようやくその地方公共団体の長に選択肢AとBのどちらかを最終決定してもらうという段階まで辿り着いた。選択肢Aが、我々にとっても、そして(我々の考えでは)地方公共団体にとっても合理的かつ最善の方策であり、選択肢Bは(我々の考えでは)従前の古い慣習に沿うだけで何ら進歩のない、全当事者にとってメリットのない選択であった。私の上司は論理的に緻密で非の打ち所のない見事なプレゼンテーションを行い、選択肢Aがその地方公共団体にとっていかにプラスとなるかを訴えた。プレゼンテーションが終わり、私の上司は勝利を確信して自信満々であったが、私はプレゼンテーションを聞いているその長の表情に、何となく違和感を覚えていた。そして案の定、数週間後に連絡があった結論は選択肢Bであり、かつその判断には何らの理由も示されてはいなかった。

職業柄、私は、logical(論理的)であり、reasonable(合理的)であり、fair(公平)であることを最も重視して、日々の職務にあたっている。法律が説得のための一手段である以上、その考え方が間違っているとは今でも思わない。しかしこのBrexitの結果を踏まえて思うに至ったのは、何がlogicalであるか、そして何をlogicalなものとして受け入れるのかは受け手によって変わりうるということである。上記のように、地方公共団体の長を相手にした場合であってもlogicalな議論によりreasonableでfairな結論を導くことには困難を伴うことがあり得るし、ましてや全国民を相手にする場合はなおさらであるが、それすらある一定の思考経路をlogicalであると考えているこちら側からの一面的な見方であって、相手方は自分の判断がそもそもlogicalではないとすら考えていないということかもしれない。

このことは、民主党の政権奪取や大阪都構想の際の国民の意思決定からもうかがい知れるし、もしかすると来たる米大統領選においてもあっと驚くことに繋がるということになるのだろうか(個人的には、Brexitを英国民の多くが後悔しているという直近の報道が、米大統領選にポジティブな影響となってくれることを期待しているが)。

そしてさらには、私が依って立っているlogicalとはそもそも何ぞや?ということにもなってくる。それに対する解は、残念ながら今のところまだ見付かっていない。

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